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| “Would rather be a jackal” : Criticism of Vaiśeṣika’s concept of liberation=ジャッカルになった方がまし | ||
| 作者 | Kato, Takahiro (著)=加藤隆宏 (au.) |
|---|---|
| 出處題名 | インド哲学仏教学研究=インド テツガク ブッキョウガク ケンキュウ=Studies of Indian Philosophy and Buddhism, Tokyo University |
| 卷期 | v.32 |
| 出版日期 | 2024.03.31 |
| 頁次 | 1 - 12 |
| 出版者 | 東京大学インド哲学仏教学研究室=Dpt. Of Indian Philosophy and Buddhist Studies, Tokyo University |
| 出版者網址 | http://www.l.u-tokyo.ac.jp/intetsu/index.html |
| 出版地 | 東京, 日本 [Tokyo, Japan] |
| 資料類型 | 期刊論文=Journal Article |
| 使用語言 | 英文=English |
| 附註項 | Author Affiliations: Associate Professor, the University of Tokyo |
| 關鍵詞 | śrgāla; Vaiśeṣika; mukti |
| 摘要 | 本論文は,様々な哲学文献に広く引用される「ジャッカル」をモチーフとした詩句の例を取り上げ,解脱の概念に関する議論を調査した. これらの詩句は解脱観についての議論の中でしばしば引用され,ほとんどの場合,ヴァイシェーシカ派の解脱を「ならばむしろジャッカルになった方がまし」といって揶揄する文脈で言及される. 本詩句を引用するジャイナ教文献『タルカラハスヤ・ディーピカー』では,苦しみがないとは言え,無感覚で喜びもない状態であるとするヴァイシェーシカ派の解脱観とそれを望まないとするニヤーヤ派とを対比的に紹介する.仏教文献『タットヴァ・ラトナーヴァリー』では,この詩句をナーガールジュナが紹介する尊者(ブッダ)の言葉として紹介するが,批判の対象は同じくヴァイシェーシカ派の解脱観である. ヴェーダーンタ派のパドマパーダやバースカラによって引用される詩句では,ニヤーヤ派やヴァイシェーシカ派に直接言及はしないものの,やはりヴァイシェーシカ派の無味な解脱をニヤーヤ派が嘲るという形式を保っている. これらの詩句の引用者たちに共通する批判のポイントは,享受の対象をもたず無感覚で無味な解脱観を受け入れないという点にある.バースカラによれば,このような解脱観はサーンキヤ派やヴァイシェーシカ派に共通しており,ヴェーダーンタ派においてシャンカラに先行する註釈者として知られるアウドローミも同じ解脱観を共有しているという. 本論では,「ジャッカルになった方がまし」という一節を含む詩句の例をいくつか集め,その内容を整理した.ここで批判の的となっているヴァイシェーシカの解脱観のソースやその詳細についてはなお精査が俟たれるが,これについては今後の課題としたい. |
| 目次 | 1. Introduction 1 2. Basic Structure of the “Jackal” Verse 2 3. Concept of Liberation according to the Nyāya and the Vaiśeṣika 3 3.1 A jackal verse in Jaina literature 3 3.2 A jackal verse in Nyāya literature 4 3.3 A jackal verse in Buddhist literature 5 4. A Jackal Verse in Vedānta Literature 6 4.1 Padmapāda’s quotation 6 4.2 A verse from kecit in the BSBhbh 7 5. Concluding Remark 8 Texts and Abbreviations 10 References 11 |
| ISSN | 09197907 (P) |
| DOI | https://doi.org/10.15083/0002009961 |
| 點閱次數 | 3 |
| 建檔日期 | 2025.05.13 |
| 更新日期 | 2025.05.13 |
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