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| 寂円禅師研究 | ||
| 作者 | 伊藤秀真 (著)=Ito, Shushin (au.) |
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| 出版日期 | 2016.10.26 |
| 出版者 | 愛知学院大学 |
| 出版者網址 | https://www.agu.ac.jp/ |
| 出版地 | 愛知, 日本 [Aichi, Japan] |
| 資料類型 | 博碩士論文=Thesis and Dissertation |
| 使用語言 | 日文=Japanese |
| 學位類別 | 博士 |
| 校院名稱 | 愛知学院大学 |
| 系所名稱 | 文学研究科宗教学仏教学専攻 |
| 指導教授 | 佐藤悦成 |
| 畢業年度 | 2016 |
| 摘要 | 宝慶寺を開創した寂円の史料は僅かである。それ故、寂円は後世、「没蹤跡」の禅僧と称された。それは寂円が坐禅修行を中心としていたため、言葉や文字で教えを遺さなかった行実と無縁ではないが、宝慶寺が天正年間(1573—1593)の兵乱に遭い、多くの文書等が焼失したと伝えられることも要因となっている。 寂円は門弟子の中から後継者として義雲を選び、宝慶寺二世として晋住させた。その後、義雲は俗称「三代相論」により荒廃した永平寺に晋住し、中興として混乱した道元禅師入滅後の永平寺を復興させ、永平原始教団の維持に腐心した。義雲の永平寺晋住以降、永平寺住持として、寂円の法系が義雲―曇希―以一と次第し、江戸期の三十八世緑巌厳柳(~1716)に至るまで寂円派下の人々に独占されている。結果、永平寺は寂円派によって護持された寺院であったともいえる。 寂円派が永平寺に与えた影響について考察することは、曹洞宗僧団が形成されていく過程を捉えることと重なる重要なテーマである。本論文は、寂円派の派祖である宝慶寺開山寂円が、如何なる人物であるかの究明を主題としている。 |
| 點閱次數 | 173 |
| 建檔日期 | 2023.04.12 |
| 更新日期 | 2023.04.12 |
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