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| 『観所縁論』v. 2abをめぐるシュバグプタとシャーンタラクシタの論争=Santaraksita in Defence of the Alambanapariksa v. 2ab | ||
| 作者 | 松岡寛子 (著)=Matsuoka, Hiroko (au.) |
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| 出處題名 | 印度學佛教學研究 =Journal of Indian and Buddhist Studies=Indogaku Bukkyōgaku Kenkyū |
| 卷期 | v.61 n.3 (總號=n.130) |
| 出版日期 | 2013.03 |
| 頁次 | 1241 - 1247 |
| 出版者 | 日本印度学仏教学会 |
| 出版者網址 | http://www.jaibs.jp/ |
| 出版地 | 東京, 日本 [Tokyo, Japan] |
| 資料類型 | 期刊論文=Journal Article |
| 使用語言 | 英文=English; 日文=Japanese |
| 關鍵詞 | Dignaga; Subhagupta; Santaraksita; Alambanapariksa; Bahyarthasiddhikarika; Tattvasangraha; Bahirarthapariksa; paramanu |
| 摘要 | 『タットヴァ・サングラバ』「外界対象の検討」章vv. 4-15 (TS_B 1967-78)においてシャーンタラクシタは諸極微の集合体を所縁とみなすシュバグプタの見解を全面的に否認する.ここに繰り広げられる論争の争点が「諸極微の集合体の顕現をもつ知は諸極微の集合体から生じたものではない.実在を対象としないから.二月のように」という『観所縁論』v. 2abにおけるディグナーガの主張にある点は従来の研究において看過されてきた.本稿ではこの点に着目し,シュバグプタ著『バーヒャールタ・スィッディ・カーリカー』vv. 38-40及び上記のvv. 4-15の検討を通じて,ディグナーガのその主張を,シュバグプタがいかに批判し,シャーンタラクシタがいかに擁護しているかを次のとおり明らかにした.まず,シュバグプタの極微集合所縁説の特徴は,(1)諸極微は集合することによってはじめて直接知覚をもたらすものとなることと,(2)集合した諸極微は複数であるにもかかわらず,黄等の単一体として誤認されることという二点にまとめられる.一方,シャーンタラクシタは彼の極微集合所縁説を否認するため,(1)諸極微の物体という属性と無部分という属性とが理論的に両立不可能であることを指摘して(1)諸極微が集合することを否定し,(2)「諸極微である」と知覚判断されない限り諸極微は直接知覚の対象としては確定され得ないことを指摘して(2)単一体という錯誤知の根拠が集合した複数の諸極微であることを否定する.さらに後者を補完して(3)知覚可能なものが諸極微の集合体であるとする推理を否定し,『観所縁論』v. 6に同じく,知覚可能なものは知の内部の能力にほかならないことを証明する.このようにシャーンタラクシタは『観所縁論』v. 2abの解釈の展開に積極的な役割を果たした. |
| ISSN | 00194344 (P); 18840051 (E) |
| 點閱次數 | 716 |
| 建檔日期 | 2015.08.28 |
| 更新日期 | 2019.05.22 |
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