網站導覽關於本館諮詢委員會聯絡我們書目提供版權聲明引用本站捐款贊助回首頁
書目佛學著者站內
檢索系統全文專區數位佛典語言教學相關連結
 


加值服務
書目管理
書目匯出
阿羅漢の造業 : 有部と上座部の教理を中心に=The Creation of Karma among Arhats : An Examination of Doctrine in Sarvastivada and Theravada
作者 清水俊史 (著)=Shimizu, toshifumi (au.)
出處題名 印度學佛教學研究 =Journal of Indian and Buddhist Studies=Indogaku Bukkyōgaku Kenkyū
卷期v.61 n.3 (總號=n.130)
出版日期2013.03
頁次1158 - 1162
出版者日本印度学仏教学会
出版者網址 http://www.jaibs.jp/
出版地東京, 日本 [Tokyo, Japan]
資料類型期刊論文=Journal Article
使用語言英文=English; 日文=Japanese
關鍵詞Karma; Kamma; Arhat
摘要本稿は,有部と上座部との資料を検討し,阿羅漢の造業の問題について考察した.阿羅漢は,すべての煩悩を断っているのであるから悪心を起こさず,人殺しや盗みをして悪業をつくることはない.しかし,阿羅漢は善業をなすことがあるのだろうか.仮にもし,「人助け」や「社会貢献」を阿羅漢がなした場合,これらの行いは仏道修行とは無関係の世俗的な善業(すなわち福徳)であるから,輪廻しない阿羅漢にも来世の生存を生みだすという問題に陥ってしまう.このような「もはや輪廻しないはずの阿羅漢であっても,新たに業を積むのか」という問題が,有部および上座部の資料に現れている.この問題に対し両部派は,次のように全く異なる見解を示している.上座部は,阿羅漢になった者はもはや業をさらにつくることはないと解釈している.しかしこれは,仏道修行とは無関係の世俗的に「よい」とされる行為を,阿羅漢が全くなさないという意味ではない.そのような場合,阿羅漢には善心ではなく,阿羅漢のみに起こる唯作(kiriya)という特殊な無記心が起きており,その心がそのような世俗的な行為を成立させていると解釈する.一方の有部は,阿羅漢となった者も業をつくることがあると解釈している.すなわち,仏道修行とは無関係の世俗的に「よい」とされる行為をなす場合,阿羅漢にも三界繋有漏心が起こり,それらは善業になる.しかしこの阿羅漢の善業は,阿羅漢の最後生で異熟を受ければ済むもので,来世を導く能力はないものにしかならないと解釈されている.阿毘達磨の法相は一見無味乾燥としているが,このような具体的な問題にも回答しうるよう厳密に定義されていることがわかる.
ISSN00194344 (P); 18840051 (E)
點閱次數616
建檔日期2015.08.27
更新日期2019.05.20










建議您使用 Chrome, Firefox, Safari(Mac) 瀏覽器能獲得較好的檢索效果,IE不支援本檢索系統。

提示訊息

您即將離開本網站,連結到,此資料庫或電子期刊所提供之全文資源,當遇有網域限制或需付費下載情形時,將可能無法呈現。

修正書目錯誤

請直接於下方表格內刪改修正,填寫完正確資訊後,點擊下方送出鍵即可。
(您的指正將交管理者處理並儘快更正)

序號
545679

查詢歷史
檢索欄位代碼說明
檢索策略瀏覽