網站導覽關於本館諮詢委員會聯絡我們書目提供版權聲明引用本站捐款贊助回首頁
書目佛學著者站內
檢索系統全文專區數位佛典語言教學相關連結
 


加值服務
書目管理
書目匯出
『タットヴァ・サングラハ』「外界対象の検討」章に引用される『観所縁論』の意義=On the Alambanapariksa as Cited in the Bahirarthapariksa of the Tattvasangraha
作者 松岡寛子 (著)=Matsuoka, Hiroko (au.)
出處題名 印度學佛教學研究 =Journal of Indian and Buddhist Studies=Indogaku Bukkyōgaku Kenkyū
卷期v.60 n.3 (總號=n.127)
出版日期2012.03
頁次1242 - 1247
出版者日本印度学仏教学会
出版者網址 http://www.jaibs.jp/
出版地東京, 日本 [Tokyo, Japan]
資料類型期刊論文=Journal Article
使用語言英文=English; 日文=Japanese
關鍵詞Tattvasangraha; Tattvasangrahapanjika; Bahirarthapariksa; Alambanapariksa; samvrti; paramartha; vijnaptimatrata; grahyamsa; advaya
摘要『タットヴァ・サングラハ』「外界対象の検討」章では,外界対象の存在が不合理であることと,認識が所取・能取という二相を欠いていることを根拠として唯識説が確立されることが説示される.シャーンタラクシタはv.118(TS_B 2082)において次のように述べる.能力が直前の認識にあるとき,所取分に関して〔認識〕対象が確立される(ab).〔しかしながら,所取分に関する認識対象の確立を〕我々は真実のものとしては認めない.したがって〔我々は〕それ(認識対象の確立)を支持しない(cd).認識の一部分に認識対象を設定するというab句の見解が『観所縁論』におけるディグナーガの主張に一致することは『パンジカー』に『観所縁論』を引用するカマラシーラによって指示される.両師弟はこのディグナーガ説をいかなるものとして言及しているのか.西沢史仁氏は,師弟がディグナーガの唯識説をそれとは異系統の唯識説を奉じる立場から批判しているとみなしている(「カマラシーラのディグナーガ批判」『インド哲学仏教学研究』3(1995):21).しかし,師弟は認識対象の設定を全面的には否定しておらず,ましてや唯識論師ディグナーガを批判していない.『パンジカー』,及び『観所縁論釈』等によれば,ディグナーガが『観所縁論』において認識の所取分に認識対象を設定したのは世俗的真理の観点からであって究極的真理の観点からではない.そしてこの所取分に認識対象を設定すること,認識に所取・能取という二相を設けることこそが唯識説における「垢」である.この「垢」が真実の観点から除去されることにより,最終的に唯識説は「無垢」(119b': vimala)となる.シャーンタラクシタの見解において,唯識説はこのように認識の無二性に帰着するのである.
ISSN00194344 (P); 18840051 (E)
點閱次數1682
建檔日期2015.08.25
更新日期2019.05.15










建議您使用 Chrome, Firefox, Safari(Mac) 瀏覽器能獲得較好的檢索效果,IE不支援本檢索系統。

提示訊息

您即將離開本網站,連結到,此資料庫或電子期刊所提供之全文資源,當遇有網域限制或需付費下載情形時,將可能無法呈現。

修正書目錯誤

請直接於下方表格內刪改修正,填寫完正確資訊後,點擊下方送出鍵即可。
(您的指正將交管理者處理並儘快更正)

序號
545573

查詢歷史
檢索欄位代碼說明
檢索策略瀏覽