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| 何故Madhyamikaは「中観」と翻訳されたのか?=Why is the Madhyamika translated as "Zhong guan (中観)"? | ||
| 作者 | 赤羽律 (著)=Akahane, Ritsu (au.) |
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| 出處題名 | 印度學佛教學研究 =Journal of Indian and Buddhist Studies=Indogaku Bukkyōgaku Kenkyū |
| 卷期 | v.60 n.3 (總號=n.127) |
| 出版日期 | 2012.03 |
| 頁次 | 1229 - 1236 |
| 出版者 | 日本印度学仏教学会 |
| 出版者網址 | http://www.jaibs.jp/ |
| 出版地 | 東京, 日本 [Tokyo, Japan] |
| 資料類型 | 期刊論文=Journal Article |
| 使用語言 | 英文=English; 日文=Japanese |
| 關鍵詞 | 中観; 中論; 中観論; 中観論疏; Jizang 吉蔵; Yijing 義浄 |
| 摘要 | 中観派という呼称は仏教を少しでも齧ったことのある人ならば誰でも知っているといってよいほど広く知られた名称である.しかし,元々サンスクリット語でMadhyamikaと呼ばれ,直訳としては「中」という意味にしかならない名称が,何故「観」の字を加えられた「中観」という呼称として翻訳されたのかについては定かではない.本稿で明らかにしようと試みたのは,まさにこの点である.中観という呼称を学派名称として初めて用いたのは義浄であるとこれまで考えられてきた.しかしこの呼称そのものは決して義浄が独自に生み出したものではない.義浄以前に,中国における中観派系統の学派である三論宗の実質的な開祖である吉蔵が,Nagarjunaの『中論』を註釈した際に,そのタイトルを『中観論疏』とし,『中論』を『中観論』と呼んだことに由来すると考えられる.この『中観論』という呼称が7世紀半以降,中国を中心に広く知られていたことは明らかであり,インドに渡る以前の義浄が知っていたと十分に考えられる.それ故に,インドにおいてNagarjunaの思想に基づく学派としてMadhyamikaという呼称を耳にした義浄の脳裏に,Nagarjunaの最も重要な論書である『中論』即ち『中観論』という名称が浮かび,それを学派名称に転用したとしても何ら不思議はないであろう.また「観」の字を加えた理由は定かではないが,吉蔵の『中観論』という名称に関する注釈に従うならば,『中論』の各章に「観」の字が付けられていることに基づいたためではないかと推察される.何れにせよ,義浄以前の7世紀に活躍し,インドの仏教事情に詳しい玄奘や,630年代初頭に『般若灯論』の翻訳を行ったインド人Prabhakaramitraといった著名な仏教僧たちが何れも,中観派という呼称を用いていないことから,恐らくこの用語を学派名称として初めて用いた人物が義浄であると想定するのが現段階では妥当であろう. |
| ISSN | 00194344 (P); 18840051 (E) |
| 點閱次數 | 575 |
| 建檔日期 | 2015.08.25 |
| 更新日期 | 2019.05.15 |
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