![]() |
|
| 大浜騒動 -- 遺品展 | ||
| 作者 | 遺品展大浜騒動企画委員会 |
|---|---|
| 出版日期 | 1982.05 |
| 出版者 | 三河殉教記念会 |
| 出版者網址 | http://www.shonenji.jp/jyunkyo.html |
| 出版地 | 愛知, 日本 [Aichi, Japan] |
| 資料類型 | 書籍=Book |
| 使用語言 | 日文=Japanese |
| 附註項 | 展覧会カタログ |
| 關鍵詞 | 廃仏毀釈; 日本佛教 |
| 摘要 | 明治維新は、それまで惰眠をむさぼっていた寺々に大きな打撃を与えた。 維新政府は、天皇崇拝を核とする国家神道によって、国民の思想教育をはかった。その神道国教化のの第一歩として「神仏判然令」が発せられた。これは、仏と神が混然となった信仰の姿から、神道を独立・純化させ、それまでの仏が主で神が従という関係を、逆転させる狙いのものであった。 従って、ただちに仏教の弾圧を意味しなかったが、実際には江戸時代を通して保護された仏教に対する反発や、急進的な国学者・地方官吏の指導により、全国各地で寺院や仏像の破壊などの仏教排撃運動、いわゆる廃仏毀釈が展開された。 明治四年二月、三河における所領およそ一万石を統轄するため、大浜に陣屋を構えた菊間藩(旧沼津藩)は、管内の寺院・領民に対し、天拝・日拝(歴代天皇・天照大神の神霊を拝す)の強要や、神前念仏の禁止等の政策を打ち出した。 これらは、神道国教化を強力に推し進める維新政府の方針に忠実に従ったものであった。 しかし、熱心な真宗門徒である領民や、石川台嶺を中心に青年僧で組織される三河護法会には、到底受け入れられるものではなく、「宗風にあるまじきこと」として強固にはねのけた。同年三月九日未明、台嶺をはじめ三十数名の有志が血誓し、政策に同意を示した二ヶ寺の糾弾と、菊間藩との談判を目的に、暮戸会所から大浜へ向かった。途中門徒農民が次々と一行に加わり、鷲塚へ到着した時には数千人に達していた。 菊間藩はこの動きを知り、急遽杉山少属以下五名を鷲塚へ派遣した。 そして、庄屋片山俊次郎宅で台嶺ら護法会代表との談判が行われたが、双方の主張は日暮れになっても平行線のままで、帰りを待つ僧侶・門徒は次第に殺気立ってきた。やがて、蓮成寺の鐘を乱打し、片山邸へなだれ込み、逃げ出そうとした役人を襲い、そのうちの一人、藤岡薫を殺害してしまった。 翌十日、台嶺をはじめ事件に加わった者は逮捕され、取調べを受けた。四月末に岡崎城で裁判が行われ、判決は十二月二十七日に申し渡された。事件の中心人物である台嶺と藤岡薫殺害犯とされる榊原喜代七が死刑、以下血誓僧に懲役刑が課せられた。また、始末書を出した門徒は千人を越える。 この事件以後、排仏運動は沈静化していくが、明治政府の宗教改革は、やがて日本人の精神に根本的な大転換が生じる程の成果を挙げることとなる。それとともに、台嶺らの護法精神や、真宗の風儀(宗風)は忘れられてしまった。 私たちはいま、大浜騒動が時代を越えて訴えるものを正しく受け止め、自らの信仰を貫き通した人々の魂を甦らせねばならない。 |
| 點閱次數 | 140 |
| 建檔日期 | 2009.07.17 |
| 更新日期 | 2014.07.16 |
提示訊息
您即將離開本網站,連結到,此資料庫或電子期刊所提供之全文資源,當遇有網域限制或需付費下載情形時,將可能無法呈現。
